ハイゼンベルク — 部分と全体

ハイゼンベルクの「部分と全体」。ずっと前に買って積ん読になっていた本。今、もう一度読みたいと思えてきた。天正寺に行って、住職の佐々木さんから色々な話をしてもらって、考えがまとまってきたからだ。

佐々木さんは、「あれかこれかではなく、自分自身を放つ」と表現されていたが、この言葉は響いた。自分自身を放つとは、「自分が無意識に信じ込んでいる常識や理想が、もはや自分のためにならなくても、それにしがみついている状態から離れること」と解釈した。

重要なのは、佐々木さん曰く、「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」(小林一茶)である。

無意識に信じ込んでいる常識や理想とは、すなわち固定観念である。固定観念は自分では認識できない奥底にあるからこそ、固定観念になる。固定観念はなぜ見えないのか。それは、その固定観念から離れることができないメカニズムがあるからである。つまり、固定観念は観念とそれを固定させるメカニズムからできている。物理的に言うと、固定点である。メカニズムを認識して、自分の固定点を見て、そこから離れ、自分自身を放つことが大事ということ。

自分の場合は、周りの環境が与えるあれこれ細かい制約を面倒だとは思いながら、それにまかせたまま放置していることに気がつき、服や靴、ドラム型洗濯機、掃除機、時計など本当にいろんなものを買い出した。買うと同時にいらないものを捨てて、今までの環境から離れだした。レディーメイドの中から選ぶだけでなく、自分に合うものなければ自分で作る。もちろん、オーダーメイドしてもいい。方法はなんでもいいが、自分に合わせることが第一だ。そして、最後は勇気を出して(環境ではない何かに)まかせる。

さて、これがどう「部分と全体」につながるのか。本の話に戻ろう。

この本はハイゼンベルクの自伝書と言っていいだろう。プラトンの対話篇が意識されている。ハイゼンベルクが、高校時代の友人であるロバートやワルターと、あるいは、師のゾンマーフェルト、アインシュタイン、そして師であり友人であるボーアと対話した記録だ。

18歳で大学に入る前のところから描写が始まるが、いきなりヘビーである。ハイゼンベルクの青年時代、それは第一次世界大戦にドイツが負けて内戦もあり、国内の秩序が揺らぎに揺らいだ時代だ。しかし、ハイゼンベルクやその学友に悲壮感は感じられない。むしろわくわくしている。

例えば、ある時など、街を歩いていたら見知らぬ若者に声をかけられて、山奥で若者の集会があるから来ないかとさそわれている。行って見ると、プルン城という断崖の上の城で、若者たちが群がって登って行くのが見えたという。まるで、物語の一場面だ。その城では、自分たちの今後や世界のことについて、演説が行われ、激しい議論が交わされていた。

ドイツは負けたが、必ずしもそれが悪いというわけではなかったということだろう。特に、変化を受け入れられる者にとっては。それまでの、強固な社会的な観念が緩み、新しい概念を受け入れる土壌ができたのだ。固定点から離れる準備ができたということだ。実際、第一次世界大戦後のドイツの物理学会では、錚々たる巨星がいた。アインシュタイン、ネルンスト、プランク、ラウエ等々である。そして、この時期に物理学では大きな発展があった。量子力学の発展である。量子力学は既存の西洋文化を揺さぶり、新しい視点をもたらした。

秩序がなくなることは絶対的に悪いことだと感じる人もいるかもしれないが、実はそうでもないということ。秩序が壊れた結果、自由に考えて発言できるようになる。時代遅れになった考え方が絶対的に支配的だと、新しい考えを生み出して人に広めるのはとても手のかかることになるし、自分が生きている間にそれを成し遂げることは難しい。しかし、秩序が揺らげばそれも可能になる。それまでの固定点から離れて、新しい固定点を自ら作り出すことができる。これは本にも指摘されている。「平和な時代の若者たちを取り巻いていた家庭や学校による保護は、もはやこの混乱の時代にはほとんど失われて、その代わりに若者たちがある程度自由に考える傾向が生まれていた。彼らはそれによって、まだ十分な基礎もできていない場合でも、自分自身の判断を信用するようになっていたのである。」

特に重要なのが、「まだ十分な基礎もできていない場合でも、自分自身の判断を信用するようになっていた」の部分である。例えば科学において一旦学説が確立し権威を得ると、そこから派生した分野が発展し、最先端の領域はどんどん細分化される。その結果、細かい分野に限定したとしても、過去の学問の流れを理解するために膨大な時間が取られ、最先端に行く頃には、最初に考えていた素朴な疑問が失われてしまうことも多々あるのである。考えなしにスポンジのように吸い込んで、基礎を積んで最先端まで行ってしまうと、それが見えない固定点となって自分の中に埋め込まれる。

細かいことを理解したからといって、それが常に意味があるものになるかどうかは疑わしい。なぜなら、「科学は人間によってつくられるもの」であり、自然が一方的に与えるものではないからである。 哲学や文学、政治、そして芸術などと科学は同列にある。これには違和感を感じる人もいるかもしれないが、実際はそうである。科学とは自然をどう見るかというメガネを作ること、プラトン主義的に言えばイデアを見ることであり、自然そのものを見ることではない。このことは、ハイゼンベルクも重々承知していたようで、まさにこの本のテーマである。

どのように認識するのかと、世界がどうであるのかは不可分である。ボーアの言葉で述べると「理解した時、理解するという言葉の意味も初めて同時に学ぶ」ということ。マッハの言葉で言えば「単純な概念で持って、多様なことを把握し得る、これが理解するということ。この時に、概念が存在と同義である」。一方、アインシュタインはマッハの最初の文には同意するが、次の文には反対し、量子力学にも終始激しく反対した。存在(”Reality”)への確信があったのだろう。

そもそも、自然そのものというものは理解できるものではない。例えば、自然を語るときには科学の言葉(主には日本語・英語等の言語、補助的に図や絵や数式)を使うが、逆に言えば言葉の範囲内でしか、うまく語れないのである。言葉はコンテキストの中で生きるのであり、過去から積み上げられた人工的な共有物である。

さて、では、既存の言葉(既存のルール)を取っ払って無制限に自由に表現すれば、それが自然そのものに最も近いものになるかというと、そうでもない。一見すると無制限にすればいいのではないかという気もしてくるが、この制限がなくなると面白さも半減する。共有できる価値がなくなるからである。これは、20世紀の哲学の流れを見ればわかる。メガネを叩き壊しても、新しいメガネを作らない限り、新しい構造が見えて来ない。そのために、自由にはなるが、共有できるものが減っていくのだ。メガネを作るということは見方に制限を入れることである。

制限と表現は表裏一体である。どのような制限の下でいかに表現するかということが、科学を含むすべてのアートの肝である。高校生のハイゼンベルクが将来音楽の分野に行こうか科学の分野に進もうかと考えている場面で、学友のワルターが次のように述べている。「表現内容と表現方法の制約との間の相互作用、あるいは戦いと呼んでも良いが、それは、本当の芸術が生まれるための不可避な前提であるように僕には思える。もしも表現方法の制約が外されてしまって、例えば音楽で全然勝手な音色を出してよろしいということになれば、この戦いはもはやないわけで、そうすれば芸術家の努力はある意味で空虚なものにつきあたってしまうよ。」これはまさに上記のことを述べた文である。

このせめぎ合いは苦しい戦いだ。終わりが予見できない。目を背けたくなる。実際に目を背けて進んでも、うまくいくときはある。それは、共有する明白な目標があるときだ。社会に新しい固定点が作られ、しかもまだまだ未完成のとき。この時は、プラグマティックに目標に進んでいけばいい。アメリカ人のプラグマティズムは日本人にはわかりやすい。少なくとも、ヨーロッパ的なプラトニズムよりは。プラトンの哲学は見果てぬ夢を追う哲学である。同じ場所に止まってはいられない。

アメリカ人のプラグマティズムは思想的には東洋思想が近いと思う。完璧な理論など存在しない。絶対的な理論など存在しないとしている。プラグマティズム自体は深いが、しかし、それを単に目の前の具体的なものに取り組むこと程度に理解していると、いざ、固定点が成熟し、次の固定点(あるいは制限)を作り出す必要が生じたときに問題が生じる。向かう先がわからなくなり迷走してしまう。

こんなときに心の準備なしだと、無力感に負けて、他人に依存してしまう。ヒトラーユーゲントの青年が、当時30歳過ぎのハイゼンベルグに告げている。「善意ある手段で目標に導いてくれるような、リーダーがいなかった。我々は今やっぱり孤独です」。ヒトラーが台頭したあと、急速にそれまであった自由な空気は失われて、ヒトラーの作った新しい固定点へ人が吸い寄せられ行く。アインシュタインを含むユダヤ人はアメリカへと亡命し、第二次世界大戦、科学者の原爆への寄与と進んでいく。戦争は、孤独への不安と不安を忘れるための熱狂が作り出す固定点である。

こんなときは、固定点から離れ、一人ゆらゆらと冒険する必要がある。自由に行動するときだ。未来への不安や恐怖と希望、虚空へと飛び込む覚悟、そして孤独に耐える勇気が重要である。冒険して、共有する価値を見つけ、そこに楽しい場を作るんだ。

ユダヤ・キリスト教文化圏では、共有できる「もの」とは共有できる「言葉」のことだが、それにこだわることはない。言葉の無力さを実感してきたのが20世紀の流れだ。言葉は強力だが脆い。固定点を固定しすぎる。とくに、すべてか、あるいは無かの二元論はまずい。全てを根本から台無しにする。とは言っても、言葉の代わりはすぐには見つからないだろう。言葉の欠点を知って、それを使うことが大事だ。

ただし、日常への不安や心配事を投げ出して、自由な冒険者のフリをしていてもだめだろう。「一つだけに向かって努力するところでは、生活は単純で明快なように見える」けれども、それは奥底にある不安を覆い隠しているだけだ。冒険を無謀と勘違いしてはいけない。ボーアが言うように「実りある革命はまずある狭い輪郭のはっきりとした問題を解くことに限った時に、しかも最小限の変更に止めるように努力した時にだけ、ただその時にだけ遂行され得る。今までの全てのことを放棄してしまって、勝手に変更しようとする試みは全くのナンセンスに終わる。」

日常の中で、自由でいることと共有できる何かを作ること、これを両立させる難しい冒険が21世紀には残されている。自分一人ではできない。他人との関係性が大事だ。法華経の比喩にあるように、何が価値を持つかは自分と他人の境界に存在する。この時、手段も重要である。「不正な手段を使うことは自分のテーゼの説得力を自分自身でももはや信じていないことの証拠に違いない」のだから。

冒険の準備は、自分の中の見えない固定点を見つけることから始まる。そしてそれが見えたとしても、固定点から離れるには勇気が必要である。実際に離れることは自分しかできないが、勇気付けることはできる。ワルターの母親が良いことを言っている。「世界がどうなるかは若い人たちが何をしたいかで決まる」。できる!やってみよう!