無意識とは何か:河合隼雄 — 無意識の構造

自分の中には、自分ではコントロールできない部分がある。例えば、体温調節、心臓の鼓動や新陳代謝だ。これらは、自分を維持して自分でありつづけるために不可欠ではあるけれども、自分ではコントロールできない体の必須機能である。

一方、心の中にも自分がコントロールできない部分がある。それが無意識だ。無意識が広く認識されてきたのは比較的最近で、19世紀末のフロイト以降である。無意識は自分の意識や行動に大きな影響を与えているが、日々の生活の中でそれを認識することは難しい。

この本「河合隼雄の無意識の構造」では、無意識とは何か、そして無意識が自分に与える影響について、フロイト以降に発展した精神医学や心理学の中で知られていることを紹介している。

フロイトは精神病の原因を探す過程において無意識を発見した。そして、その後にこの試みは精神分析学として発展し、さらに後には分化していった。筆者は、フロイトの弟子で、後に袂を分かったユング派に属するらしい。

さて、無意識とはなんなのか。なぜそんなものを考える必要があるのだろうか。

転んで怪我したとき、痛みを感じる。この場合、痛みの原因は明確である。転んで、膝を擦りむいたからだ。このような原因が明確な痛みや不調は起こった時に対処できるし、一度学習すれば、次回からはその原因を回避するために予防することができる。

しかし、特に原因は分からないが体に不調が現れることがある。例えば、特に外傷が無いのにいきなり耳が聞こえなくなったり、声が出なくなったりする。もしくは気落ちして、行動できなくなったりする。

フロイトはこういう時には、体ではなく心に傷を負っているのだと考えた。所謂、心的外傷(トラウマ)である。例えば、性被害にあった人や戦争に行った兵士が感じるPTSDが特に有名だ。トラウマは直接意識すると苦しい葛藤に苛まれるので、受けた直後に抑圧され、表面上は意識しなくなる。

しかし、それは完全に忘れ去られているわけではない。無意識の領域に押し込まれているだけだ。従って、何かの拍子に体や意識に影響を与えて、不調として現れてくる。トラウマを解消するためには、無意識を意識して、そこに何があるのかを見ることが重要である。

これだけだと無意識は体の不調をもたらす原因で、無い方がよいと感じるかもしれない。しかし、そうではない。無意識はトラウマのような劇的な出来事のみを溜め込んでいる場所ではなく、むしろ、自分に成長をもたらしてくれる源泉でもあるのだ。

前にも述べたが、自分は「成長することが人間に幸せをもたらしてくれる」と考えている。大人になって体の成長は止まっても、心や社会的な成長は一生続けることができる。体を成長させるためには、ご飯をよく食べてよく寝るという方法が一般的に有効だ。一方、心や社会的な成長は一般的な方法がないように思える。つまり、これをやりさえすればよいというテクニックはないということだ。

何をもって成長だと感じるかも個人個人で違うわけで、一般的な方法があると考える方が無理がある。しかし、全く指針がないわけでもない。例えば、社会的な成長のためには、創造的仕事がとても有効である。

創造的仕事の本質は何か。それは一見相反するものを調和させたり、その調和を発見したりすることである。その時、相反するものを意識のみで捉えて合理的に考えていても、一向に調和しないし、新しい調和を発見することもできない。調和させるためには、無意識の助けを必要とするのである。

この本では、具体的に自分の無意識を意識するための方法として、夢を記録することを挙げている。ユング派は夢の中に無意識が漏れ出していると考えているのが理由のようだ。その際に意識すべきなのは、夢のなかのシンボルやイメージやストーリーである。これらを通して、自分の中に新しい知恵が届き、その結果として創造的な仕事ができる。

実際にユングはさまざまな人の夢を分析したが、そこで分かったことは、共通のシンボルが出てくるという事実だ。夢に共通のシンボルが現れることから、ユングは人間には二種類の無意識があると考えた。個人的無意識と普遍的無意識である。普遍的無意識の概念は西洋のイデアに近く、合理的に解釈できる余地を残している。そこで、ユングはそれらに名前をつけた。例えば、グレートマザー・アニマ・アニムス等々である。ここでは、これらについて一々言及しないが、気になる人は本を読んでみてほしい。

また、自分自身を調和させるためにも無意識が重要な役割を果たす。人は社会の中で生きているので、自分の態度や考え方を社会的に望ましいとされるものに、ある程度は無意識的に合わせている。しかし、一般的にいって、その外向けの態度と自分の内部にある規範や考え方が、完全に調和していることは少ない。皆ある程度の葛藤をかかえている。その葛藤が大きくなると、うつ病などの問題が生じる。逆に、社会的要請と内部からの声を調和させて発展的に解消できれば、大きな喜びを感じることもできる。

特に現在のように、社会構造が大きく変化しているときには、そのような葛藤が生じることが多い。今までは意識せずに調和できていたことでも、再び考える必要が出てくる。自分の無意識を覗き込むのは面倒な作業で、一見すると目に見える発展がない時間が続く。今のような目に見える結果が重要視される時代では、特に後回しにされがちである。しかし、大きく成長するためには必須である。急がば回れ。こういう時だからこそ、無意識に注目していきたい。