松岡正剛 – 神仏たちの秘密

今日紹介するのは、松岡正剛の神仏たちの秘密。

神仏たちの秘密―日本の面影の源流を解く (連塾方法日本 1)

松岡正剛は最近注目している人の一人。編集者で、編集工学を提唱していて、イシス編集学校の校長でもあり、連志連衆会の理事でもある。他にも、Web上で「千夜千冊」という本の紹介をしている。現在、千冊はとっくに突破していて1500冊間近だ。

この本は連志連衆会という、松岡さんを中心とした「連」(人の集まり)で語った内容をまとめたシリーズの第一冊目。

この人独特の価値観で日本をまとめているので、古事記や仏教についてひと通り知っていれば、とてもおもしろいと思う。知識と知識が繋がっていく感覚が得られるはずだ。

ただし、日本人の根底にあるフルコトについての広い話題を取り扱っているので、一つ一つの内容の詳細は省かれているので注意。具体的な知識(古事記、仏教など)は他で仕入れておく必要がある。

この本の趣旨は、過去の日本を見なおして、日本人独特の物事の捉え方や生み出し方(方法日本)を捉えようということ。

その中でも、とくに面白かったのが、「アワセ・キソヒ・ソロへ」だ。

これは日本人独特の物事の生み出し方を端的に表した言葉。せっかくなので自分の考えも入れてまとめておく。

西洋は弁証法

西洋のものの考え方の基本は弁証法だ。そもそもの由来は古代ギリシアにあるけど、ここではヘーゲルの弁証法を想定しておく。

弁証法とは、簡単に言うと、正と反と合で物事を考えていくやり方。対立するもの同士(正と反)を戦わせて、より統一された高い次元の物事を得る(合)やり方だ。

合を作る作業をアウフヘーベンと呼ぶけど、その際には、前段階の正と反が内在していた矛盾がさらけ出されて、少なくともその部分の矛盾が解消された合が得られるようになっている。

そこで、できたストーリーは直列構造になる。これは、後から眺めても理解しやすい。

例えば、キリスト教では公会議がこれに当たる。主流派を決めて異端を弾圧して、ストーリーをひとつに纏めていった。

弁証法は一神教の合理主義との相性も良い。

日本はアワセ・キソヒ・ソロへ

一方、日本の物事の進め方は大きく異る。

日本では、まずは場の成立が大事だ。いろんな意見・特技・価値を持っている人がいるけど、その人達が集まることが重要。最初に、並列構造がある。日本には八百万の神がいるしね。

集まることで、なんとなく良い感じになって、まとまってくる。

例えば、歌合わせ・貝合わせ。まず、和歌好きな人が集まってくる(アワセ)ことで、そのうち競争が起きて(キソヒ)、いいものが出来る。そして、その中でなんとなくみんなの合意ができて、枠組み・ルールになる(ソロへ)。

この仕組みを、松岡さんは「アワセ・キソヒ・ソロへ」と呼んだ。これは、日本人が新しい物事を作るやり方(方法日本)における、大きな要素の一つだ。

現代だと、同人誌即売会やニコニコ動画なんかは、この考え方に沿ってできた。だからすごい活気がある。

アニメ・漫画は日本ですごく発展したから、このやり方が貫けた。

一方、文化以外の他の分野でもこのやり方は使えるはず。特に、最近重要なのが経済・政治だ。個人的には、政治経済圏もグローバル化する必要はなく、たくさんの動的な島宇宙を構成していくのが、日本人の特性に合っていると思っている。

方法日本の問題点

弁証法的世界ではルールは対立で勝った方が決めてるに過ぎないから、そもそも絶対的なものではない。現実に則さなくなると変更可能だ。この機構のお陰で、西洋の議会制民主主義は寿命が無限大だと仮定できる。

一方、方法日本の議会も寿命が無限大だとするとちょっと都合が悪くなる。
なぜならば、一度できたルールを変更するのがものすごく大変だからだ。

実質的に、問題のルールを作った人が生きている間はなかなか変えることができない。

これは、変えるためには全員の合意が必要だと考えるからである。

従って、日本の場合は、ある程度時間が経つと枠組み・ルールと現実が乖離し始める。行き着くところまで行くと、崩壊する。

こうなってしまうと最初から作り直したほうが早い。

そこで、本来ならば、そうなる前にアポトーシス機構を組み込んでいく必要がある。

例えば、式年遷宮のように、あえて一定期間で最初から作り直すと、技術の継承や新陳代謝が活発になる。引退とか隠居といった概念も、アポトーシス機構に当たるんだろう。

方法日本では動的平衡を目指そう。

戦後復興も方法日本

実は戦後の復興も、方法日本は貫かれた。混沌のまま始まって、なんとなく枠組みができた。そしてだんだんと、組織化・ルール化されていった。

例えば、株の持ち合い・談合・根回し・終身雇用がその例だ。

だけど、なんとなくこれじゃあうまく行かなくなったのがわかってきたのがバブル後。

これは、日本固有の問題点だといって、90年代後半から2000年代前半にかけて、大いに叩かれた(小泉改革とかね)。

そこで、グローバル・スタンダードを対抗軸に持って来て、制度を西洋化しようとした。形だけ真似た成果主義がその例だ。

だけど、それではうまく行きっこない。日本人の特質に合っていない。

今の状況は方法日本の問題点が表面化してきただけ

結局、今の状況は、方法日本が問題なんじゃなくて、枠組み・ルールの賞味期限が切れただけ。

なのに、全然根本の考え方が違う、対立を軸とする西洋のやり方を真似ても、うまくいかない。グローバル・スタンダードを制度だけ真似ても意味ない。

和を持って尊しとする、話し合い至上主義の日本人は、日本人のやり方でやらないといけない。

新しいアイデアへ

新しい生き方には、新しいアイデアが必要だ。

前から思っていることだけど、いったいいつまで戦後なんだろう。

もう戦後も67年たった。いい加減、戦後スキームから脱しよう。

面白がること

新しいアイデアを試すために、自分が面白いと思っていることを共有しよう。

最初は小さく始めよう。最初はなんでもありだ。ルールがない場所から始めよう。

逆に言えば、ルールが無くてもある程度は信頼出来る仲間を見つけて組織を作っていく必要がある。

コアの人選は重要。そいつら同士は裏表を作らないことが大事。

今こそ自分の場を作ろう!

自分たちがルール作りに参加できる場を作ろう。やりたいことがある奴は、集まろう。

まずはおもろいことをやってる奴を探して、自分の価値をアワセてみよう。それがキソヒ、ソロへに繋がっていくはずだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です