呪術文化と漢字

漢字の起源をご存じ?

漢字がもともと絵から成り立っていたのは、学校で教わったよね。漢和辞典を引くと、漢字の成り立ちのコメントがある。例えば、「名は夕と口の二つの漢字の組み合わせでできた文字(会意文字)で、 夕暮れは暗く、姿が見えないので、口で名を告げることから生じた」といったように。

ほう、なるほどそうかと納得しそうな感じもするけど、なんか一休さんのトンチを聞かされている気にもなってくる。

現代信じられているこのような解釈は、後漢の許慎(1世紀)が書いた「説文解字」の解釈が大本になっている。説文解字では漢字を540の部首に分けて体系付け、その成り立ちを象形・指事・会意・形声・転注・仮借に分けて解説し、字の本義を記す。

この解釈はその後の漢字研究の基礎となって、今までずっと信じられてきた。しかし、これは後付けの理論である可能性がある。

なぜか。。実は1世紀当時、漢字のもとになったと考えられる甲骨文字(紀元前14世紀の文字)が認知されていなかったのだ!

僕らは甲骨文字が漢字のもとになったと学校で教えられてたけど、甲骨文字が発見されたのはそんなに前の話ではなく、1899年である。

もともと漢字は、中国の殷の時代に行われていた亀の甲羅を使った占い(貞卜)に起源をもつ。占いといっても、今みたいに個人がやってたんじゃあない。王が、どうやって政治を行っていくかということが占われていたんだ。そうすると、占いを記録しておいて、あとで、どうなったか比較する必要がある。甲羅に穴を開けて、そこに熱した金属棒を差し込み、できたヒビを見て占ったらしいんだけど、その結果を記録するためにヒビの傍に刻んだ記号が甲骨文字だ。Wikiで甲骨文字を調べると本当に絵として成り立っていることがわかる。

甲骨文字が発見されても、漢字の解釈(漢字辞典の内容)は相変わらず「説文解字」がスタンダードだった。これは日本だけでなく中国でもそうだったらしい。だけど、これに異を唱えたのが日本人の白川静だ。

白川さんは、その当時の呪術文化と漢字は密接に関連していると考えた。例えば、「名」を例にあげると、「夕」は肉の省略形で口はサイという祝詞を入れる箱を指す。確かに、甲骨文字では「名」の「口」部分は横棒が上に突き出た形をしている[3]。

そこで、白川さんの解釈はこうだ。子供が生まれて一定期間過ぎると、祖先を祭る廟に祭肉を供え、祝詞をあげて子供の成長を告げる儀式を行う。それを「名」という字で表した。その時に、子供に名前を付けたので「名」は名前の意味を持った。

白川さんは、「古代文字の象形が、それぞれの儀礼や習俗、古代的な観念の上に成立するものであり、その造型のうちに厳密な意味が含められている。」、「名は夕べのほの暗いな中で、顔も定かに見えぬから口で名乗ることを意味する、というような解釈は、(中略)、古代文字の造型を、正しく理解する方法ではない。」とばっさり切った[2]。

漢字を古代の呪術文化と関連した絵と認識してみると、今と違う意味が見えてくる。 例えば、自分の名前を表す漢字の元の意味を調べてみると面白いよ!

[1] 白川静 漢字の世界観 (平凡社新書): 松岡正剛による白川静の入門書。わかりやすくていい!

[2] 漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書): 白川さんの著書。この人の考えが詰め込まれている。

[3] 常用字解: 漢字辞典。漢字の成り立ちの解説が面白い。現代の漢字に対応する、古代文字(甲骨文字や金文)も表記されている。

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