西鋭夫 – 国破れてマッカーサー

第二次世界大戦前後で日本は大きく変わった。大戦からは67年たっているけど、戦後のパラダイムは変化していない。明治と大正をあわせても58年しかないことを考えると、そろそろ変化するんじゃない?という気がしてくる。事実、1945年を明治元年と考えると、今はちょうど昭和10年。偶然だが、実は日本のパラダイムシフトから約62年後に世界恐慌(1929年と2007年)が起こっていることになる。昭和恐慌はその後の軍部の台頭につながる。ということは、あと10年以内に社会が大きく変化する可能性もあるわけだ。

そこで、歴史から学ぼう。前回のパラダイムシフトの要因である敗戦とその後のアメリカ占領政策に興味がある。

敗戦後、実際に戦後日本に変化をもたらしたのがGHQである。特にマスコミは戦前と戦後で態度を180度変えた。そこで、GHQと戦後の日本支配のやり方を知りたいと思いこの本を読んだ。

タイトル:国破れてマッカーサー
著者:西鋭夫

この本はGHQ最高司令官であるマッカーサーを軸にして、どのような過程を経て憲法・教育・マスコミが変化していったかをアメリカの公開資料を元に初めて調査した本だ。出版は1998年、14年前である。このような本が出てくるまで、戦後50年かかったことは、戦後アメリカ支配の大成功を意味している。

アメリカが日本占領を一つのモデルケースとしてアフガニスタンに用いようとしていたことは、記憶に新しい。しかし、アフガニスタンでは失敗した。この違いは宗教観の違いにある。

アフガンではイスラム教が支配的である。すなわち経典の民である。経典の民は支配者が変わろうとも、絶対的なものがある(God, YHVH, Allah)と思っている。だから、急激に価値観はかわらない。一方、日本人は周りにあわせて生きていくのが是であるとしている。このような急激な変化を許すのが「空気教」である。(空気教については山本七平の「空気の研究」を参考に。非常に面白いので読む価値あるよ。)この違いが占領政策の成否の違いを生んだと思う。

日本では、戦前は、天皇が絶対的価値観であった。戦後はマッカーサーがその地位についた。

現在の日本国憲法もGHQから出てきたものだ。敗戦当初の幣原内閣の提出した新憲法草案は大日本帝国憲法の焼き直しだった。それに怒ってマッカーサーがノートに書き付けたのが今の日本国憲法の原案である。そんな憲法を未だに一度も改変していない日本という国は大丈夫なのだろうか?

当時のアメリカの自信を体現した男がマッカーサーだ。

マッカーサーはキリスト教徒で民主主義の信奉者だった。そこで、表向きはマスコミは自由であると宣言していた。しかし、実は裏で自分の気に入らない記事が発表されないよう事前検閲していた。その後事後検閲になるが、事後検閲でもし認められなければ記事を回収しなければならない。これが新聞社に過剰な内規を作らせ、予定調和的な記事しか出せなくなる原因となる。

戦前マスコミに自由はなかった。戦後は変わったと言われているが、実は当時の検閲と同様に、現在でもタブーで自らを縛っている。そのことが明らかになったのが、東日本大震災に伴う福島第一原発問題だ。

日本は良くも悪くも、価値観を急激に変えられるということが分かった。今までの全く逆のことが生じても驚かない。今後の日本のキーワードは「自治」だと思う。中央集権的な国家から個人へと権力が移っていくんじゃないかな。理由はいろいろあるけど、人口減少で経済規模が縮小していくのが一番大きい。そこで重要になるのがルール(憲法)策定だ。自分が納得できるルールの下で生活するために、一般の個人が表舞台に立てる小さな半分閉じた経済・政治舞台がたくさんできるんじゃないか。

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